お祭りに珍客登場なのだ!の巻!

premium00182012-04-14

今日は、養父市の「お走り祭り」なのだ!





神輿通過前、珍客現る!!




で・・・





「神輿が来ます」ということで






事務所前でお出迎え!




神輿と帯同して



祝儀受けの



尺持ちの人へ




珍客さんは、



全ての祝儀受けの人に




「1,000円」づつ御祝儀




祝儀受けのひとが次々と・・・




全ての人へ 祝儀を 渡す珍客さん!!




祭り主催者の方たちは大喜び!!




珍客さん「お金、全部渡してしもた!」




と・・・




嘆く 珍客さん。




ボーズにされた




珍客さんと




記念撮影なのだ!



マシンガントークで有名なこの方なのだ!




初めての「お走り祭り」で




マシンガン祝儀 炸裂なのだ!。




さすがに仕事柄




ボーズとは、縁がきれません。





「おいっ!山田くん!座布団3枚やっとくれ〜」




大先輩、またお寺関係者の皆様、失礼しました。

なのだ!


「お走り祭り」

祭りの由来は、昔々、但馬がまだ泥海だったころ、但馬五社の神様たちが、養父町斎(いつき)神社の彦狭知命(ひこさしりのみこと)に頼んで、豊岡市瀬戸を切り開いてもらい、豊かな大地が生まれたので、養父大明神が代表として、彦狭知命にお礼参りしたことからはじまったとされています。
 また、神功(じんぐう)皇后が三韓出征の帰路、養父神社に「葛(くず)の葉餅」を献上され、その一部を斎神社にお供えされたという故事にちなんでいるともいわれています。さらに、この時養父大明神はみたらし渕に泳いでいる「鮭の大王」の背に乗ってこられたとも伝えられ、鮭を川の使い、または川にいる神とする信仰も、お走り祭りに結びつけられたと考えられています。
 祭りの朝、「ハットウ、ヨゴザルカ」とかけ声をかけ合いながら、みこしは養父神社を出発。斎神社までの往復40キロの道のりを重さ150キロのみこしを担いでいきます。みこしがまるで軽く走っていくように見えたことから「お走り」という名が付いたといわれています。
 現在は、この道のりをすべて走るのではなく、途中は車で運ばれています。養父神社を出発したみこしは、養父町三谷の厳島(いつくしま)神社で斎神社のみこしと合流し、錬りあった後、養父町建屋で一泊。斎神社に参った後、再び建屋で2台のみこしは練り合って別れを惜しみ、それぞれの神社へと帰っていきます。
 現在は春の祭りとしておこなわれていますが、もとは12月ひつじの日、帰りは翌日で、古くから「未(ひつじ)走りの申(さる)戻り」といっていました。ところが、旧暦12月は厳寒のころで、川渡りが大変であったことから、明治10年(1877)に、池山の弁天(現厳島神社)祭りの日になったということです。また、養父神社から斎神社への道筋も昔は、険しい御祓山(みはらいさん)を登って行ったという記録が残されており、荒行だったのでは?という説もあります。